"優しい"父親と"厳しい"母親(水星の魔女12話感想記事)

水星の魔女12話の感想記事

12話は、簡潔に言うならば、実は優しいだろw感のあったヴィム(グエルパパ)、親バカを隠し切れなくなってきたデリング(ミオリネパパ)、不穏な空気しかなかったプロスペラ(スレッタママ)の三人の親の親子関係が一気に表出した回と言えるだろう。

この記事では親子関係、父親と母親とはというところに焦点を当てたい。

 

プロローグからあった違和感

プロローグの序盤、娘エリクトとテストパイロットの仕事を終えた母エルノラが、父ナディムの待つ家に帰るというシーンがある。ステレオタイプ的に言うならば、母の待つ家に仕事を終えた父が帰るというのがよく見られる場面だろう。

しかし、このシーンでは、全く逆の構造で描かれているばかりか、ナディムはエプロン(女性の行う家事を象徴するもの)まで着ている。ただし、ナディムが専業主夫かというとそうではない(普通に働いており、共働き)ため、余計にこのシーンの演出的な意図が感じられるのではないか。

 

水星の魔女で見られる親子関係

グエルの場合

多くの視聴者が彼に主人公めいたもの感じているように、かなり王道の(親子関係を含む)人間関係の中にある。グエルを厳しく育てる父ヴィムとの関係に悩み、それを克服しようとするエディプスコンプレックス的な欲求が強く見られる(母親的な対象、獲得するものがよくわからないが、トロフィーとしてのミオリネ⇒スレッタという感じだろうか)

12話では、相手を知らないままに、父ヴィムを殺してエディプスコンプレックス歪んだ形で克服してしまった。(そして、手に入れる(「進む」)はずのスレッタもああなっている...)

 

ミオリネの場合

ミオリネの親子関係について考えると、あまり女性らしさを感じないというのが率直な感想として出てくるだろうか。母親の死に関係する出来事から(?)、父デリングを嫌うミオリネは当初、父デリングの影響下から逃げることを目的としていた。しかし、スレッタが現れ「逃げ出すよりも進むことを」選び、株式会社ガンダムの社長としての活躍を見ると、デリングの後を追っているように見える。こうした父を憎み、克服せんとする様は、(典型として)娘というより、むしろ息子という印象すら受ける。

12話に至るまでに、ミオリネの中にデリングへの「許し」(父親として認める)(母親関係のことは別としても)のような感情が生まれていたのが気になるところ。

 

スレッタの場合

スレッタの親子関係は、どう言語化すればいいのか...という感じだ。一つ言えるところは、これまで書いた二組の親子より完成度が高いということだろう。これまでの話でも、プロスペラ・スレッタ親子の間に割って入ることの困難さは度々描かれていたが、今回の12話でより強く、そして絶望的に描かれたと思う。

ここ最近の流行りで、目にする機会も多いと思うのだが、プロスペラのスレッタに対する接し方は、いわゆる、優しさによる、母親的/母性による支配というようなものに映る。

その中で、考えたいのが、「逃げたら一つ、進めば二つ」である。この言葉に導かれるようにして、スレッタは12話Cパートのような行動をとったわけだが、プロスペラはとうの昔に「進んで」今の姿になったと考えていいだろう(だからこそ語り継ぐ)。徹底して目的の達成(=復讐)を目指すプロスペラにとっては、母親の顔も文字通りの仮面でしかない可能性もあるだろう。

 

優しい父親と厳しい母親

三組の親子を見比べると、完全に伝統的な父親像を持つグエル親子、伝統的な父親像のようだが、ミオリネの次第感もなんとなく感じるミオリネ親子、母親による優しい支配のスレッタ親子という形になる。

ここで考えたいのが、伝統的な父親像のヴィムとデリングが本当に優しいのか?ということだ。現実世界を生きる我々にとって、伝統的な父親像はもはや昭和的なもので、現代の価値観ではむしろ前時代的であるとして蔑視すらされるものだろう。

視聴者としての我々にとって、グエルを退学させながらも、子会社にポストを用意するヴィムは「優し」く映るかもしれないが、グエル本人からすれば、自分の選択肢を奪う強権的な父親でしかない。加えて言うならば、視聴者の我々が、プロスペラの不気味な母親像への恐怖から、伝統的な父親像を美化している可能性も十分にある。

 

まとまりはないけどいろいろ書いた(今後気になる点とかも)

今回、親子関係をテーマに挙げたが、メインキャラクターたちの親子関係はなかなかに多様だ。スレッタ(エリクトではないものとする)は父親を知らないままに育ち、グエル・ミオリネは母親未登場と、既に死去、シャディクに至っては、孤児から養子にとられているといった具合である。

父親と母親の本質的で絶対的な違いは、子どもとの肉体的/身体的な繋がりの有無。最近の流行りでいう母親の支配の根拠はここにあるのではないか。わりとテンプレ文だが、「おなかを痛めて産んだ子を...」という具合に、子どもの存在そのものの根幹に当たる「誕生」に携わっていることで、母親は絶対的な権力を発動する。(加えて言えば、乳母などを抜きにすれば、立って歩けるようになるまで乳を与えてやったこともそうだ)子どもは、生まれ育ち、自我が芽生えた時点で、自分自身の存在そのものに「母親」という前提を認めねばならず、生きることに対しての母親への罪悪感(大げさに言えば、原罪)を背負わなければならない。

ミオリネの親子関係について書く中で、ミオリネを「息子」と書いたが、スレッタとミオリネが婿と嫁で入れ替わった関係なのが少し気になるところ。作中でも、地球寮の面々に「正妻」呼びをされて「婿です」と返すシーンがある。

あとがき

久々に公開できる気がするので、ガバガバそうなのも放置して公開しようかなと思っています。そもそもメモみたいなもんなんだから公開すりゃいいのに...ってなるけど、そうなると本当にTwitterとの区別がなくなるとか思ってしまって...。クソ真面目っぽい文はまとめてこっちにぶん投げられるくらいになりたいのは思うんですが、なかなかできませんね。いろいろきしょきしょ話題は思いついたりはするので、やろうとだけは思うのに、ちゃんとやろうとしすぎて悪い意味でタスク化して重荷になるみたいなことを誰にも見えない自分の中だけでやっています。はぁ.........

概念としての「父」と「母」、父はぼんやりわからんではないな...と思うくらいだった一方で、母がなんなのかというのはいまいちピンときてなかったのですが、なんとなく書きなぐったことで少し見えてきたような気もします。

母というのは、(変えようのない?)環境と言うことはできなくはない気がしています

マジで文章を書くたびに死にたくなる~~~

自分の中だけなら最強なのに、社会の中では最弱なので。

ツッコミ、お待ちしています!!!🍅

P.S. セックスだ!(カミーユ)